『超訳論語』『読書感想』『論語とは』

今回は超訳論語についての読書感想文になっている。

本書は超訳とついているだけあって、物凄くわかりやすかった。

正直なところ今回私が、要約するべきところはないと言っていいかも知れない。

なので今回は、所々読んでいて理解できなかったところがあったのでそこを掘り下げることを目標とさせて頂いた。

とても読みやすく内容のある本である。

息子ができたら買い与えたい…..まずは彼女を作らなければいけないが..

ではいこう。

論語とは「学習」という概念を

人間社会の秩序の基礎とする

思想である

著者は本書で論語を以下のように整理している。

「学習」という概念を人間社会の秩序の基礎とする思想である。

人には学びたいという要求がある。

学ぶということは、ただ知識を取り入れたり勉強したりすることではない。

知識や勉強する内容は自分以外の人がその人なりの感覚を通して見出したものだ。

知識や勉強を自分なりの感覚を通して、自らのもとのした時に、それが学んだということになる。

例えば私は今、文字を使いながらこの文章を書いている。

しかし私が書いている文字や文章そのもの自体に意味があるわけではない。

この文章を読んでいる貴方はそこから意味を見出しているはずだ。

小学生の時に足し算を習う。

私達は、1+2が3になるという変化と

2+3が5になるという変化の中に同じものがあると気づくことにより、それを自分のものとしてきた。

先生が伝えたいことは1という数の重要性でも3という結果でもなく

1+2=3という関係の中にあるボンヤリとした概念であると理解していたと思うのだ。

概念には幅がある。

だが、きっと私達はその概念を自分なりに他の人に説明できる。

「人に説明できるようになったら理解している」

という言葉は的を射っている。

しかし人々は「人に説明できるようになったら理解している」という状態そのものが重要なのではないということ、意識しないにしても知っている。

「人に説明できるようになったら理解している」のはもちろん重要なのである。

しかし「人に説明できるようになったら理解している」に意味を与えているものが無ければ「人に説明できるようになったら理解している」は全く意味を持たない。

そして学ぶとは「人に説明できるようになったら理解している」に意味をもたらしいるものを感覚的に知ることなのではないのだろうか。

学習が社会構造の基礎となる理由

仁たり得る人は心に平穏を持っている人である

「仁」

常に学び、学習回路を開いている状態を「仁」と呼び

「仁」の状態で在れる人を「君主」と呼ぶ。

「君主」

世間は人を型に嵌めようとしてくる。

しかしその中で君主は、自分自身を失わず、

人の基礎的な要求である学ぶことに志ている。

そして自らの心に従うことを「志」と呼ぶ。

これは前回解説させていただいた

「絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きよ」

と共通する考えがある。

「仁」の基礎である「孝」

学習回路が開いている状態が「仁」であると上で述べた。

実は人が「仁」(学習回路が開いている状態)である時に基礎となるものがある。

それは親孝行でお馴染みの「孝」である。

「孝」は親が子に与える慈愛から生まれる。

(本書では「三年の愛」)

仁たり得る人は心に平穏を持っている人である

そして心の平穏には自分に対する信頼が必要であるからだ。

仁ある人がお互いに学び合い成長してく状態「和」

学習回路が開いている仁ある人々が

互いに学び合いながら成長してく「和」の状態

「和」の状態が人間社会には重要である。

しかし「孝」が成り立たない社会では「仁」は成り立たない。

親からの慈愛が和ある社会の基礎となるのである。

そして和ある社会では子が親に「孝」をもつ。

そのため臆することなく、自分の気持ちや考えを親に伝えることができる。

父兄に愛されて育った者のは

同じように父兄を大切にし

臆することなく、自分の考えを伝えれる。

そのように育ったら

社会に出ても、臆することなく、自分の考えを目上の人に伝えらる。

上のことをするのは簡単ではない。

しかしそれができる者が自分の信念に従い仲間と共に「和」に到達できる。

「仁」によりできた「和」の中にある「礼」

「和」の状態の中で行われる人間関係を

「礼」にかなっているという。

「礼」にかなっているとは、対話者双方が学び合っている状態を言うのである。

逆に学習回路が閉ざされている人を「小人」と言う。

小人は自分に自信がないため、乱を恐れる。

そのため周囲に同調をして乱を逃れようとする。

自らの道を生きるには自らの志に添い

常に学ぶことが重要である

人は自分の選択が正しいかわからない。

故に正しさを基準として行動すると常に怯えることになる。

情報を集め、幾つもの選択肢の中から最善の道を見つけようとし、足踏みすることを

「惑う」と言う。

情報を学び、自分のものとしていることが重要なのである。

人は自分の選択の正しいかわからない。

そのため、志に添い、常に学ぶことが重要なのである。

この事を本書では

小人は何を得るかを考え

君主は何をなすべきか考えると説明する。

と説明していました。

共に学ぶ人の中に

共に志を立てる人がいる

本書では

共に学ぶ人の中に、共に道を進むべき人がいる

共に道を進む人の中に、共に志を立てる人がいる

と言う文がある。

共にと言う範囲がどれほどなのかは分からないが

地球全土だったらこれほど賑やかなことはない。

そう思う。

今回、解説させていただいた本は

超訳論語

今回は『超訳論語』を個人的に読んで個人的に深掘りが必要だった箇所について書かせていただきました。

とにかく、オリジナルの本書が読みやすかったです。

小人は何を得るかを考え

君主は何をなすべきか考えると説明する

と言う実際にブログを書きながら、とても身にこたえた1文でした。

何よりも読んでいて面白い、そんな本でした。

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kiyo.