今回は「絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ」についての読書感想を書いてしていきたい。
主に、
- 長い目で生きることの重要性
- 今を熱狂して生きること
この2つを軸にしての記事となります。
長い目で人生を見るということ
変化し続けながら、軸を持つこと
長い目で人生を見るということ
「長い目で人生を見る」これはこの本の中ではかなり大きな役割を持っていると考である。
努力は報われるのだろうか..?
変化し続けながら、軸を持つことは可能なのか..?
このあらゆる問いに対する回答の基礎となっている
とても大事な要素だ。
それでは本題に入っていきたい。
明確な軸と、鮮やかな感受性を持つ
どう生きるかは手段である
しかしどう死ぬかは、軸となる。
明確な軸と、鮮やかな感受性を持つということ
さて、今回のブログではなぜ熱狂することが大事なのかということを解説することをゴールとしたいと思っている。
そんなわけでまず最初に、軸と感受性を持つということについて書いていこうと思う。
人生の軸とはどこに定めるべきなのだろうか…?
仕事の軸はどこへ置くべきなのだろうか。
日々生きていると、選択が必要な場面に多々遭遇する。
そして選択には基準となる軸が不可欠である。
軸について考える時に大切なことがある。
軸は、面白いぐらいに自己中心的である
そして自己中心的とは原点に立ち変えるということである。
金もなく、時間もなく、友達もいない。
住む場所もない。
社会の評価基準が悉く、崩れた時。
貴方はどこに軸を置くだろうか。
きっと、そこで生まれる軸は自己中心的であり
より貴方に近い所にあり、鋭さを持つと思うのだ。
これは会社であったり、学校選びであったりと、色んなことに言える。
なぜなら軸とは何かを評価するときに、必ず必要になるものだからだ。
しかし、現実の正解では軸よりも、手段の方が重要視されることがある。
そして何より、「手段」に取り組んでいる時間が最も長いといっても良いのではないだろうか。
つまり「手段」とは軸と同等に重要で有るということである。
しかし「手段」はあくまで手段である。
軸が導き出した目標を達成するための方法である。
そして時の流れとともに、ベストな方法は変わる。
皆さんはスマホゲームをするだろうか。
スマホゲームも新しいキャラが追加されるたびに環境が代わり
外時代ごとにベストなチーム編成は入れ替わる。
これは「手段」も同じである。
「手段」に固着してはいけない。
そして手段を常にアップデートしていく時に大事なものこそが感受性なのである。
なぜなら感受性は、分析力などに先立つ最も基礎的な感性だからである。
分析は手段に利用するための情報集めである。
「手段」をアップグレーするには
今やっている事が、自分の目標に辿り着く道かを確認する必要がある。
客観は常に主観を超越するが
主観無くして選択はできない。
どう生きるかは手段である
しかしどう死ぬかは、軸となる。
だから長い目で見た軸を持っていることが大事なのだ。
主観と客観のズレる音に耳を澄ませるのが感受性なのである。
僕はタイトルの「 絶望しきって死ぬために」というフレーズはこのことを言っているのではないかと思うのだ。
人は一人分の人生しか結えない
さてここから軸を持つということに合わせ
「人は一人分の人生しか結えない」ということについても書いていきたい。
選択した結果を受け入れる覚悟が大事
選択をするということは、何かを切り捨てることである
本書では
「欲望は一度膨らみ始めると、 止まるところを知らない。 一方、人は誰でも体を一つしか持たず、寿命もある。 無限のものが有限の器に入るはずがない。」
「絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ」
と説いている。
欲しいもの全て手に入れることはできない。
そして過去の選択は取り返しがつかない。
だからこそ、過去の選択の集まりである今を全てを注ぎ込み生きることが大事なのである。
選択した結果を受け入れる覚悟が大事なのだ。
今この瞬間目標のためにできることが
1つしかないと気づいた時
それが熱狂になる
熱狂について
ここから熱狂について書いていこうと思う。
『本来熱狂は、集団を襲うものだ。 熱狂が過ぎ去り、あたりに人がいなくなっても、 自分の中に火種を見出せたら、 それこそは本物の情熱である。』
「絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ」
熱狂するには、自分が正しい道の上にいるとわかっていなければいけない。
目標までの道のりを明確にして。
今この瞬間目標のためにできることが1つしかないと気づいた時に。
それが熱狂になるのだと思うのだ。
どう死かという問いと、生きる方法が合致した時にそれが情熱となり、熱狂となるのではないのだろうか。
死ぬという選択肢は決まっている。
選択肢すらでもないのかもしれない。
だからこそ、考える必要のない問いでもある。
しかし敢えて
「私は死ぬ」と選択をして
選択の先にある結果を覚悟を持って受け入れることが
大事なのではないのだろうかと僕は感じた。
今回、解説させていただいた本は
絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ
今回は『絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ』を個人的に読んで重要だと思ったことについて書かせていただきました。
選択は往々にして先送りにしたくなるものですが本書はそんな私に喝を入れてくれました。
本書最後の章は「生きることは死ぬことを見つけたり」となっています
まさに本全体の総括になっている章だなと読んでいて思いました。
おすすめの一冊です(正直おすすめしない本はないのですが)
でも本書を実際に読むという選択は人生を削る価値があると思います。
ここまでお読みいただいた方々本当にありがとうございます。
ほんの少しでもお役に立てる場所ありましたら幸いです。
心より感謝申し上げます。
kiyo.