ルネ・デカルトとそのバックグラウンド
ルネ・デカルト(1596-1650)は、ヨーロッパにおける科学革命の真っ只中で活躍した哲学者です。
この時期、旧来のアリストテレス的な自然観が疑問視され、天文学や物理学などで大きな進展がありました。
ガリレオ・ガリレイやヨハネス・ケプラーの発見により、宇宙観や自然現象の理解が大きく変わりつつあったのです。デカルトはこのような科学的進展を背景に、伝統的な哲学や知識体系に疑問を持ち、自らの合理主義哲学を発展させました。
また、宗教改革や三十年戦争などの宗教的・政治的な混乱の時代でもありました。
デカルトは10歳でラ・フレーシュの学院に入れられ、その後学問の道を進むのだが、そこで得られたものに確実性を見出すことに苦労しました。
実際に方法序説において
「多くの疑惑と誤謬に悩まされている自分を発見して、勉学に努力したことによって、ますます自分の無知を発見したという以外には、何らの効果も収めなかったように思われた。」
と言葉を残しています。
中世のスコラ哲学やアリストテレスの思想に基づく自然哲学は、経験的な観察や感覚に頼っており、必ずしも確実な知識を提供していませんでした。
これに対してデカルトは、理性を基盤にした新しい方法論を提唱し、確実で普遍的な知識を構築する必要があると考えたのです。
詰まるところ、論理的と言えることはなんなのか、考えることとは何なのかについてまず整理し、その上にその他の学問を作り上げるべきであると考えたと言えます。
デカルトは合理主義の父と呼ばれ、「理性」を知識の基盤と位置づけました。彼の哲学は、全てを疑うことから始まる方法的懐疑に基づいています。デカルトは、「我思う、ゆえに我あり(Cogito, ergo sum)」という有名な命題を通じて、疑うことすらも疑えない確実なものとして「思考する主体」の存在を確立しました。この「コギト」の発見により、デカルトは絶対的な基盤となる知識の第一歩を示しました。
また、デカルトの心身二元論をとても有名です。
彼は精神(心)と物質(身体)を明確に区別し、精神は思考する存在であり、物質は空間に広がる延長であるとしました。これにより、心と身体の関係性や物質世界の理解が新たに再定義されました。
今回は主にデカルトの方法序説について書いていきます。
方法序説について
『方法序説』の中心には、デカルトが提唱する「4つの方法の原則」があります。この原則は、合理的で確実な知識を得るためのガイドラインとして提示されています。
- 明晰判明の原則
明確に、かつ疑いなく真であると認識されるもの以外は真理として受け入れない。これは、確実性を持つ知識だけを信頼するということです。
- 分析の原則
問題をできる限り小さな部分に分割し、理解しやすい要素に細分化して分析する。複雑な問題をシンプルな要素に分解することで、理解しやすくなるという考えです。
- 総合の原則
簡単な問題から始め、段階的に複雑な問題に進んでいく。つまり、より基本的な真理から徐々に複雑なものを構築するというプロセスです。
- 枚挙の原則
すべての問題や要素が見逃されていないことを確認し、漏れなく検討する。これにより、誤りや見落としを防ぎ、確実な知識を得ることができます。
明晰判明の原則とは名前のとうり明晰であり確実であると言えるものを判断する段階です。
デカルトは明晰であるものを探す最初のプロセスとして懐疑を用いました。
この懐疑によりデカルトは以下の3つの発見をします。
- 感覚の信頼性に対する疑い
デカルトはまず、感覚によって得られる知識に疑問を抱きます。私たちは通常、外部世界についての情報を感覚を通じて得ますが、感覚はしばしば誤りを生じさせることがあります。遠くに見える物体が実際には近くにあるように見えることや、錯覚や幻覚などがその例です。
したがって、感覚に基づく知識は完全に信頼できるものではないと結論付けました。
- 夢と現実の区別に対する疑い
次にデカルトは、夢の問題を持ち出します。夢の中では、現実と見分けがつかないほど鮮明な経験をすることがあります。
もし夢の中で見聞きすることが現実と区別できないのであれば、私たちが今ここで経験していることが夢でないとどう証明できるでしょうか?この点から、外部世界の存在そのものについても疑うことができるという考えに至ります。
- 悪意のある天才による欺瞞
最後にデカルトは、さらに極端な仮説を立てます。それは、「悪意のある天才」(または「悪魔」)が存在していて、私たちのすべての感覚や思考を意図的に欺いているかもしれないというものです。この仮説では、私たちが「真実」だと信じていることがすべて、この天才によって巧妙に操作された幻想である可能性があります。たとえば、数学の基本定理でさえもこの天才の力によって誤解させられているかもしれません。この仮説によって、デカルトは論理的・数学的知識さえも疑うことができると考えました。
3から分かるようにデカルトは知識は常に新しくなり、自身が知らないことが常に存在すると考えるようなかなり謙虚な人柄です。
生き方としても尊敬できるので興味がある方はぜひ原本を読んでいただきたい。
話が少しそれましたが、デカルトはこの一連の思考の中において疑い得ない唯一の確実なものが「我思う、ゆえに我あり(Cogito, ergo sum)」です。つまり、「私は考える。したがって、私は存在する」という命題を作りあげます。
デカルトはたとえ自分の感覚が欺かれていようとも、そして自分が夢の中にいようとも、「考えている」という事実自体は否定できないと考えました。
さらに、たとえ悪意のある天才が存在して、私を欺いていたとしても、私が疑っているという事実は、天才によって否定されることはありません。つまり、「疑っている自分」の存在は確実です。
「考える」こと、つまり、疑うこと、信じること、否定すること、思考すること、そのいずれかが行われている限り、それを行っている主体である「私」の存在は否定できません。
それを行なっっている主体である「私」が「考える」ことにより存在しているという話は少し跳躍があるように思えます。
実はこの跳躍は心身二元論につながります。
デカルトの心身二元論
少し長いですがデカルトは方法序説において以下のように述べています。
「自分は存在しないと想定することはできないということ、反対に、自分がほかの事物の真理を疑おうと考えているというそのことからして、きわめて明証的に、きわめて確実に、わたしは存在する、との結論が生じるということ、だのに一度自分が考えることをやめたならば、わたしは自分が想定していたほかのすべてのことが真実であったとしても、わたしは存在すると信じるどんな根拠もないということから見て、わたしは、自分はその全本質または本性が、考えるということにだけあって、存在するためにはどんな場所も必要とせず、またどんな物質的な物にも依存しないところのひとつの実体であることを識った。
したがってこの「わたし」、すなわちわたしがそれによってわたしであるところの霊魂は肉体からまったく区別されたものであり、それは肉体より認識しやすいものであり、肉体が存在しなくても、それが本来あるがままのものであることをやめないだろう。」
これを見ると私という精神の本質は「考える」ことにあり、またその「考える」という行為以外には私という精神が存在していると証明する根拠が何もない
つまり、精神と肉体は別々のものである、肉体があるために精神があるという絶対関係にないことがわかります。
少し話がそれますが、デカルトはモンテーニュから大きな影響を受けています。
モンテーニュ(Michel de Montaigne, 1533–1592)は、フランス・ルネサンス期の哲学者・随筆家であり「随筆(エッセー)」の創始者として広く知られています。
エセーは「試み」という意味です。
モンテーニュは「随想録(エセー)」で、当時の確立された価値観や知識を批判し、極度の懐疑主義を提唱しました。
彼は、人間の知識、知覚には限界があり、すべての真理を知ることは不可能であると考え、「わたしは何を知るか?」(Que sais-je?)という問いを立てました。
モンテーニュは、私たちが持っている多くの信念や知識が疑わしいものであることを強調し、懐疑主義的な側面、また個人の経験や主観を重視する相対主義的な側面も持っていました。
デカルトはモンテーニュから影響を多く受け取っているとも言えるでしょう。
しかしデカルトとモンテーニュにはいくつかの考え方の違いがあります。
人間への捉え方の違い、神に対する考え方などは大きな違いがある箇所です。
デカルトは人間を「考える存在」としたの対しモンテーニュは人間は「柔軟で多様な存在」としました。
またモンテーニュが宗教に対して比較的中立的(そのためエセーは後に無神論書として禁書になります)立場を持っていたのに対しデカルトは、神は確実な知識体系を構築するために、必要不可欠な存在であると考え、神の存在を理論的に論証しました
少し話がそれましたが、精神は思考という行為を行う主体であり、場所も物質も必要としない、独立した実体であるという考えは、精神は肉体から離れても、存在し続けられるという心身二元論を生み出します。
デカルトはさらに、精神の性質を軸として確実とは証明できないながらも存在を考えることができるものについて、つまり神について話を進めます。
デカルトの神の証明
デカルトは神の存在についていくつかの証明を行います。
1. 完全性の観念(完全な存在)
デカルトは、「自分の中にある完全な存在(=神)の観念は、私自身のような不完全な存在から生まれるものではない」と考えました。私たちは不完全で限界を持つ存在ですが、完全で無限の存在(神)についての観念を持っているため、それは自分の外部にある完全な存在から与えられたものであるという結論に至ります。
• 完全な存在(神)は、自己のような不完全な存在から作り出せるものではなく、その観念は神自身によって植え付けられたものである。
• この「完全な存在」の観念が神の存在を証明している、とデカルトは主張しました。
2. 因果性の原則
デカルトはは結果がその原因よりも優れていることはないとも考えました。
自分が持っている完全な存在(神)についての観念は、自分のような不完全な存在から生じるものではなく、その原因として完全な存在が必要であると考えました。つまり、完全な原因(神)があって初めて完全な観念が生まれるという論理です。
3. 外部世界の信頼性を保証するため
デカルトは、外部世界や理性の確実性を保証する存在として神が必要だと考えました。彼は、私たちが知覚する外部世界が実際に存在することや、理性が正しい結論を導き出すことを保証するためには、完全で欺くことのない存在(神)が必要であるとしました。もし神が存在しないか、もしくは欺く神であれば、私たちの知識全体が不確かなものとなってしまいます。しかし、デカルトは、神が全能であり、善であるならば、神が私たちを欺くことはないと結論付けました。
• 神は完全であり、善であるため、私たちが世界を知覚する際に私たちを欺くことはない。
• このことにより、私たちの知覚や理性の働きが信頼に足るものであると保証されます。
4. 存在論的証明
デカルトは、存在論的証明も神の存在を支持する理由としました。存在論的証明とは、神の概念自体から神の存在を証明する議論です。デカルトは、神を「最も完全な存在」と定義し、その完全な存在には「存在」自体が含まれていると考えました。もし神が存在しなければ、神は完全な存在ではなくなってしまいます。したがって、最も完全な存在である神は必然的に存在しなければならないという結論に至ります。
デカルトは全ての原点を神とうい完全な存在に求めました。
そのため神という概念はデカルトの論理の上でも絶対的な必要性を持っています。
デカルトは「明晰判明な観念は真理である」と主張し、その上で人間の中にある「完全な存在」の観念は神から来るものであり、したがって神が存在することを証明するとしました。
まとめ
デカルトは様々な批判を受けていますが、大きく哲学の歴史に名を残した人物です。
歴史的な流れを見てみると、全ての人に理性があり、その理性が信頼にたりえるものであると定義した人、つまり思考、理性は万人に開かれているものであるという「人権」のはしりの概念を生み出しました。
それ以前は理性は神により啓示を受けたごく一部の人のものでした、それが実は全ての人に当てはまる、そして当てはまっているからこそ人々は神の教えを理解できるのだデカルトは考えたからです。
最後に、デカルトは真理だけを追求、真理のみを求めているように見えますが、実際には極端を避け、理性が疑い得ないものだけにより作り出された方法から出てくる結論には否定的だった。
いわば革命なようなものを推薦はしていなかったのである。
デカルトは確定的な道徳が定立するまでの「一時しのぎの道徳(いちばん穏健な、極端からいちばん遠ざかった意見に従って身を修め」ながら、国の法律および慣習に服従すること)」というものを説いているが、その「一時しのぎの道徳」を理性を土台とした確立したものとしようとしていたのではないかという見方もデカルトに対してあるようです。